東京生まれのファッション雑貨。台東区周辺の企業による、こだわりの靴・バッグ・財布・ベルト・帽子などを販売します。

januka - 「お手本から少しずれた」をコンセプトとするジュエリー -

これ1つでアレンジ自在 ATTACHMENT NECKLACEシリーズ

これ1つでアレンジ自在 ATTACHMENT NECKLACEシリーズ

サークル型やバー型のゴールドのパーツの使い方次第で、何通りものアレンジができるネックレス。
2重にしたり、ねじったりとシーンに合わせて形を変えるネックレスです。

映るものたちにより表情を変える ハーフミラーピアスシリーズ

映るものたちにより表情を変える ハーフミラーピアスシリーズ

姿見として使われるミラーをジュエリーにデザインしたシリーズ。
ジュエリーではあまり使われることが少なく、石たちとはまた違った魅力を与える鏡のピアスです。

姿見として使われるミラーをジュエリーにデザインしたシリーズ。
ジュエリーではあまり使われることが少なく、石たちとはまた違った魅力を与える鏡のピアスです。

【インタビュー】自由な発想が生む唯一無二のジュエリー

2016年の5月、三重県で行われた伊勢志摩サミット。そこに集まった参加国の代表たちが胸元につけていたのは、伊勢志摩のシンボルともいえる真珠をあしらったラペルピンでした。

小ぶりなのに存在感があって、何よりかっこいいこのラペルピンをデザインしたのが、januka(ヤヌカ)のデザイナーの中村穣さん。計算しつくされたデザインのジュエリーを次々と生み出す中村さん。その頭の中を少しだけ覗くことが出来たようなインタビューとなりました。

留学生活での出会いで生まれたクリエイション

私がjanukaを知ったのは、前職でのこと。磁器を使ったジュエリーのラインナップを見て、その斬新なアイデアに驚いた記憶があります。それから5年、人気ブランドとなったjanukaですが、自由な発想から生まれるジュエリーたちはいまだ健在です。

楠:海外生活が長かったと聞いたのですが。

中村:そうです。15歳までは大阪でしたが、中学を卒業してスイスの日本人学校に単身留学したんです。アルプスの山の上にある学校で、周りの環境は完全にハイジの世界でしたね。

楠:娯楽のない環境で、自分と向き合うことからクリエイションが生まれたんですか?

中村:いや、この時はまだ何もなかったですね。
元々ファッションが好きだったので、それを勉強しようと思って高校卒業後はニューヨークに留学したんです。アメリカの美術大学って1年目でファッションも含め、アート全般を勉強するんですけど、そこで1年学んでみて、ファッションよりも興味を持ったのが立体のプロダクトデザインだったんですよね。一言でプロダクトデザインといっても、車とか家具、靴、おもちゃ、電化製品とかいろいろあるんですけど、僕がメインに選択したのは家具デザインでした。

これまでの経歴を伺うと、高校、大学時代にスイスからニューヨークと留学を経験し、様々な文化に触れてきてはいるようですが、まだこの時点ではジュエリーブランドを始めるというところに経歴が繋がっていない様子。今のjanukaの形に繋がるのは、どのタイミングなのでしょうか。

中村:ニューヨークでプロダクトデザインを学んでいる時に、影響を受けたのがdroog Design(ドローグデザイン)というオランダのデザイングループ。その中でも僕が好きだったデザイナーたちは、みんな同じ大学出身だったんですよね。それで自分もそこで学びたいと思い、オランダに留学するんです。

中村さんが入学したのは、「Design Academy Eindhoven(デザインアカデミーアイントホーフェン)」。当時、日本でも様々なデザイン誌で特集が組まれていたオランダの芸術大学でした。学部長は中村さんが影響を受けたdroog Design(ドローグデザイン)の創立者のGijs Bakker (ハイス・バッカー)氏。彼のもとで学びたいとの思いもあったのだそうです。

世界中に有名な芸術学校がありますが、中村さんが入学したデザインアカデミーアイントホーフェンは、コンセプトを出発点とし、デザインを行うという独特の考えのもと教育を行う学校。車や家具など、コンセプトを持ってデザインし、形にしていく事を学び、ジュエリーもその中の一つであったといます。そこで学んだ中村さんのデザイン力は相当なもの。

中村:ニューヨークのセレクトショップでjanukaのアクセサリーを置いているところがあるのですが、そのお店がインスタグラムでうちのリングをアップしたところ、ロサンゼルスやポートランドのお店のバイヤーから連絡が来たのでびっくりしました。

天然石のリングにしても、石の留め方など計算しつくされたうえで成り立っているようなデザインは、真似したくてもできないもの。日本のみならず、世界中のバイヤー達の目利き心をくすぐるんですね。

デザイナー中村穣としての今後の展望は?

デザインにおいては、素材やアイテムを限定せずに何でもできる中村さんはある意味、とても器用ですが、ご本人としては、今後どのようなことをやっていきたいですか?

中村:janukaでやっているジュエリーは、あくまでも表現の一つだと思っています。以前は家具のデザインもやっていましたし、実際に今はバッグのデザインも手掛けています。
例えば、地方の地場産業を活性化するため、クライアントワークとしても、様々なアイテムをデザインしていきたいんです。
そう思っていた矢先にお話をいただいたのが、伊勢志摩サミットのあのラペルピンなんですよね。

当時、極秘に三重県真珠復興協議会メンバーに選出されたデザイナーでデザインコンペが行われました。そんな中で中村さんは、「伊勢志摩の真珠屋さんたちが何を伝えたいのか」、をじっくりと考えてデザインに落とし込んだそう。
真珠が貝の中で成長していく様子もデザインに取り入れられています。

プレゼンテーションの場では、デザインだけではなくて、そのコンセプトもしっかり伝えたといいます。15歳でスイスに単身留学し、言葉も通じない環境に身を置いてきた中村さん。アメリカ、オランダと海外生活が長かったのもあり、自分の考えを様々な手法で人に伝えることに長けているのかもしれません。

何を伝えたいのか、どうすれば人に伝わるのかを考え、デザインをする。そんなデザイナーがパートナーとなれば、クライアントも心強いでしょうし、そんな中村さんのもとには、今後たくさんのオファーが入りそうな予感。彼の中から次に何が出てくるのかが楽しみになりました。

中村穣

Profile中村 穣なかむら・じょう

1981年生まれ。ニューヨーク Pratt Institute にてインダストリアルデザインを学び、その後オランダ Design Academy Eindhoven にて修士を取得。Gijs Bakker、Ted Noten 等に師事。2007 年、オランダの droog design からデザイナーとして作品を発表。
帰国後、プロダクトデザインユニット "bril"の一員として活動後、2012 年にジュエリーブランド "januka" を立ち上げる。2016 年、主要国首脳会議(G7 伊勢志摩サミット)で、参加国代表が胸元につけたラペルピンのデザインを手がけた。同年、バッグブランド“JO NAKAMURA”をスタート。2017 年 6 月、西荻窪にアトリエ兼ショップ“januka/JO NAKAMURA”をオープン。