東京生まれのファッション雑貨。台東区周辺の企業による、こだわりの靴・バッグ・財布・ベルト・帽子などを販売します。

力強さと優しさを備えたリングたち

小曽根さんの手掛けるジュエリーには、身に着けた人を肯定して、見方になってくれるような心強さがあります。

【インタビュー】Haruka Ozone

安全ピンのモチーフのピアスなど反骨精神が感じられる要素がデザインに反映されているHaruka Ozoneのジュエリー。そこには心強さを届けたいというデザイナー小曽根さんの思いが詰まっています。ジュエリーブランドの立ち上げから今後についてまで、小曽根さんにお話しいただきました。

独学で始めたジュエリー制作

ーまずはジェリーブランド立ち上げに至るまでの経緯を教えてください。

デザイナーとして活動する前は音楽活動をしていました。しかしコロナによってライブができなくなり、当時、家でできる創作活動として選んだのがジュエリーだったのです。ちょうどハンドメイドブームがきており、コロナ禍でもECなどで販売できることが、ブランド立ち上げの後押しにもなったと思います。


ーそれまでにデザイナーの経験などはあったのですか。

一切知識も経験もなかったので、ゼロからのスタートでした。シルバージュエリーをやっている友人から教えてもらったり自分で調べたり…大変ではありましたが、楽しかったのでできたと思います。

独学だったので、台東デザイナーズビレッジに入居するまでは職人さんやデザイナーさんとの繋がりが少なく、苦労することもありました。例えば少し前まではろう付けという溶接をレーザーでできることを知らず、火でやっていました。銀は柔らかいので小さいパーツを溶接する際、火でやるとどうしても周りのチェーンなども溶けてくっついてしまうため、かなり時間がかかっていました。が、職人さんたちと話す中でレーザーという選択肢があることを知り、今は効率よく作業が進められるようになりました。

ジュエリーが誰かの心を支えるお守りになってほしい

ーHaruka Ozoneのブランドコンセプトはご自身の経験からきているとお伺いしました。

「アウトサイダーな感性を持つあなたに心強さを届ける」をコンセプトにジュエリーをデザインしています。これはちょうど思春期に台湾に住んでいた時の思い出や経験から生まれたコンセプトです。

私は両親の仕事の関係で12歳から16歳の時、台湾に住んでいました。突然言語の通じない国に住むことになり、孤独を感じていた私を支えてくれたのは音楽やファッション。特に惹かれたのはビジュアル系の音楽やロリータファッションなど少し派手で過激なものでした。

ジュエリーは肌に触れるもので、服よりも心に近い存在だと思っています。当時の私のように、孤独感を味わっている方にジュエリーを届けることで、ジュエリーがその方の心を支え、気持ちを後押しする存在になったらと願っています。

ー音楽活動をされていた時の経験も、ブランドのデザインに反映されているのでしょうか。

大好きな音楽も、ジュエリーに反映されていると思います。例えば天然石を使ったジュエリーは天然石の一つずつの表情をみて選ぶのですが、その際、イメージにあった石を曲から連想して選んでいます。また実際にデザインする時も、ロックやパンクの音楽を聴きながらやることが多いです。

ブランドの発展を通して伝えたいこと

ーブランドの今後についても教えてください。何か目標にしていることなどはありますか。

現在はLUMINEさんなどのファッションビルでポップアップをさせていただいており、20~30代の方を中心に手にしていただくことが多いのですが、もっと幅広い年齢層にジュエリーを届けていきたいと思っています。これから価格帯を変えたジュエリーを追加し、ジュエリーのラインナップも増やして将来的には銀座三越さんなど大手百貨店にも出店することが目標です。


ーそのような目標の背景にはどんな思いがあるのでしょうか。

台東デザイナーズビレッジに入居してから、職人さんとの繋がりが増えたことが大きく影響しているかと思います。職人さんと話す中で知ったものづくりに対する思いや、手作業でしか表現できないニュアンスなどをブランドを通して伝えたいと思うようになりました。私のブランドが発展することが、職人技と職人さんの活躍の場を残すことに少しでも繋がったら嬉しいです。

 

ProfileHaruka Ozoneハルカ オゾネ

Haruka Ozoneのジュエリーは、自由で個性的な生き方を尊重し、身につける人の内面の強さや信念をそっと支えます。独創的でスパイシーなデザインが個性を引き立て、ジュエリーを装飾品以上の「心に寄り添うパートナー」に変える存在でありたいと願っています。