三和袋物は深山隆義さん(50歳)の祖父、故・深山和三郎さんが1935年におこした小さなベルトメーカーが前身だ。袋物メーカーとして財布の製造に乗り出したのは戦後。祖父とその息子たちが懸命に経営を切り盛りし、企画力、品質管理に秀でた中堅メーカーとしての地位を業界内に築いた。
職人と営業マンがあうんの呼吸で新作を生み出す
幼少時代は工場の上に住まいがあり、
「革の切れ端で遊ぶことは年中だった」という深山さん。
父の仕事をあまりに身近で見ていたためか、
家業を継ぐことは「それほど意欲的ではなかった」と笑う。
「大学卒業後は大阪で雑貨卸の仕事をしていたんです。
2年半ほどたって、仕事がおもしろくなりかけたころ、
父が『いい加減帰ってこい』と。有無をいわさずでした」
三和袋物に入社したのは24歳のとき。
研修の一環として最初に配属されたのが
同社の心臓部ともいえるサンプル室だった。
「1か月ほどですが、職人たちと一緒に
試作品作りの見習いをさせてもらいました。
楽しかったですよ。これだけやっていていいなら
ずっとここで働きたいと思いました」
当然ながら、その夢はかなわず、営業部へ配属。
得意先(問屋やアパレル企業)の要望を聞き出し、
量産品に落とし込む仕事を任されるようになった。
「この仕事が心底おもしろいと感じたのは30歳のときです。
得意先のバイヤーが言葉だけでいいあらわした商品を
職人の力を借りて、相手のイメージ以上に具現化したら、
それが取引先の間で奪い合いになるほど人気が出たんです」
三和袋物はいまでこそOEM(相手方ブランド生産)が
売り上げの柱となっているが
当時は自社オリジナルの財布が引く手あまたの状態だった。
「もともとオリジナル商品で大きくなったメーカーだから、
OEMの仕事でも『これじゃ売れない』と平気でいっちゃう。
『あそこは態度がでかい』と敬遠されることもありますが、
一方で『オーダー以上のものを必ず作ってくれる』と
信頼してくれる得意先もあります。それが自負ですね」
カジュアルなデザインのなかに職人技が見え隠れする
深山さんは46歳のときに父の跡を継ぎ、
三和袋物の3代目社長となった。
「入社当時といまでは市場の状況が一変しました。
財布に関していえば、高価なインポート物もあれば、
安価な海外生産品、個人のクリエーターの手作り品まで
価格もクオリティも幅がずいぶん広くなりました」
そうしたなかメーカーとしてどう生き残りをはかるか――
それが経営者となった、深山さんの目下の課題だ。
例えば同社のオリジナル品で人気のある、
コードバンのメッシュ財布は
端材を生かすために深山さん自身が企画した。
「こうしたきっちりした作りの財布は、
個人のクリエーターには難しい仕事ですが、
メーカーにとってはできて当たり前のことです。
私たちがいま目指している物作りは、その逆。
クリエーターが手作りした作品のような
やわらかい雰囲気の財布です」
ソフトなイタリアンレザーを使った新作の財布は、
三和袋物の新しい試みとして企画された商品だ。
一見、素材感を前面に出したラフな作りに見えるが、
「長年使ってもこわれない仕事をしている」という。
「弊社のある御徒町から蔵前には
いま若いクリエーターの人たちが集まっています。
彼らの自由な発想はメーカーにとっていい刺激です。
うちにも数名ですが、職人を目指す若い社員がいるんですよ」
「彼らはふだんは得意先の品物を作っていますが、
週末に誰にも頼まれずに新作のサンプルを作っています。
彼らの情熱と感性を信じ、それを消費者に伝えること。
これが職人の代弁者である私の使命だと思っています」