革製品のブランドというと、特定の名前がついた、特別なシリーズというイメージがある。その意味では、野村製作所にブランドはない。あるのはロゴも社名もないシンプルな革財布だけだ。自社製品をあえてノーブランドで展開する背景には、目立つことをよしとしない老舗の奥ゆかしさと、品物のよしあしだけで勝負したいという作り手の自負があった。
求められれば手の内は明かす。老舗だがオープンな社風
婦人財布メーカーの野村製作所は、
財布やハンドバッグメーカーが軒を連ねる、
台東区御徒町のビルの中にある。
オフィス然とした外観とは裏腹に
社内には革用のミシンが所狭しと並び、
ベテランと若手、両方の職人が肩を並べ
新製品のサンプル作りにいそしんでいる。
得意先はアパレル企業や問屋が中心。
生産は海外の委託工場で行う場合が多いが、
国内のベテラン職人とも長年の付き合いがあり、
手の込んだ紳士向けの革財布も得意とする。
今回の主人公、植田清香さん(37歳)は
オートクチュールのドレスを
自宅で手がける一方、
週3回ほど、野村製作所に出向き、
同社のオリジナル製品の営業や
海外の取引先との折衝に当たっている。
「以前はプログラマーの仕事をしていました。
でも、実際に手を動かす仕事がしたくて、
都内の教室で革小物作りを5年間学びました。
途中、洋裁を学ぶため、ロンドンにも2年間留学しました」
植田さんがジャンルを問わず、
ハンディクラフトの仕事にひかれるのには両親の影響がある。
父親はイギリスの古い車をレストア販売する会社を経営。
母親は料理好きがこうじて地元に焼き菓子店を開いている。
身の回りのものは何でも作ってしまう、
器用な両親に育てられた植田さんにとって、
野村製作所はとても魅力的な会社に見えた。
「いい意味でゆとりがある会社ですね。
職人さんに聞けば、何でも快く教えてくれますし。
若い社員に限らず、美大生に無料で工房を開放したり、
得意先が困っていれば同業者をどんどん紹介したり・・・。
商売のやり方は昔ながらですが、社内はオープン。
革小物の仕事を学ぶなら、ここだと思いました」
財布は毎日使うもの。凝ったデザインより使い勝手が第一。
OEM(相手先ブランド製造)メーカーとしての
のれんを代々受け継いできた野村製作所だが、
実は横文字の名前をつけたオリジナルブランドを
大々的に立ち上げようと、もくろんだことがある。
植田さんは入社してまもなく、
そのプロジェクトにかかわることになる。
「著名なデザイナーを起用して
商品コンセプトもしっかりと練って、
発表直前までいったのですが、
最終的にはリリースを見送ることになりました」
いまはまだ得意先に勉強をさせてもらっている時期。
ブランドのロゴを売るより、商品のよさを伝えよう。
それが4代目社長の経営判断だった。
「そこが野村製作所のすごさというか、
現場の社員も納得した上での決断でした。
当面はノーブランドの製品として
消費者の反応を直接得るために販売しよう
ということになりました」
そうしたオリジナル製品を企画する際、
植田さんが心がけていることは
愛着を持って長く使い続けられるかどうか。
「財布は実用品。いくら凝ったデザインでも
使い勝手がよくないと手放されてしまいます。
オリジナル製品では、デザインはシンプルに、
素材はなるべく質の高い革を使いながら、
手ごろな値段に抑える努力をしています」
自社製品をあえて海外で生産しているのも、
より多くの人に野村の財布を手にとってほしい
という思いからだ。
「海外生産といっても日本人の技術者が
何十年もかけて指導している工場なので、
クオリティーは国内生産品と変わりません。
個人的には全部日本で作れたらいいなと思いますが、
国内の作り手は高齢化が進んでいるのが実情です」
次世代へ技術を継承するため、野村製作所は
昨年4人の若者を異業種から中途採用した。
現在は2人の親方が後進の指導に当たっている。
「いまは野村製作所をPRするのが私の役目ですが、
時間的な余裕があれば、私もミシンを踏みたい(笑)。
いつか自分で型紙を起こした財布を売れるように、
終業後に工房で地道に特訓を続けるつもりです」
植田さんが操るミシンの針先が
布から革に変わる日は、そう遠くなさそうだ。