azzuni(アッズーニ)は、「上質なマリン」をテーマにしたレザーバッグのブランド。その育ての親である松村由美さん(49歳)さんは少年時代、船乗りになるのが夢だった。遠洋漁業の漁師の家に生まれ、大学時代はカッターボート部に所属。社会人になってからは仲間とヨットレースに打ち込んできた。生粋の海の男が陸(おか)の上で目指すのは、未来の皮革産業を担う、若い作り手の育成だ。
大企業を退職し皮革業界へ。羅針盤のない人生を選ぶ
「私がこの業界に入ったのは、
義父の会社(清川商店)を存続させるためです。
後継者の育成は、自分が選んだ道が正しかったと
次の世代に証明することでもあるんです」
松村さんが大手運輸会社の営業職を辞め、
バッグメーカーの清川商店に入社したのは28歳のとき。
「いつか社長になりたい」と思っていた青年にとって
義父からの申し出は、いわば渡りに船だった。
とはいえ、まったく畑違いの業界。
さぞ苦労も多かったに違いない。
「同業者からはいまでも、よくからかわれますよ。
会社を辞めないほうがよかったんじゃないって(笑)」
入社するやいなや製造部門に配属されるものの、
先輩たちが話す業界の専門用語がわからず、
ひとつひとつたずねては言葉を覚えていった。
縫製をお願いしている外部の職人は
自分の父親よりも年長のベテラン揃い。
工房に行くたびに、小言をいわれながら
バッグ作りのノウハウを学んだという。
30代になってからは製造管理だけでなく
清川商店ただひとりの営業担当として
得意先の開拓を地道に進めてきた。
しかし、バブル経済崩壊後、市場は急激に縮小。
同店が得意とするフォーマルバッグの売れ行きも
次第に悪くなっていった。
「なんとか売り上げを維持しようと、
休みもなく、がむしゃらに働きました。
でも、世の中の状況まで変えることはできず、
働けども働けども売り上げは上がらない。
そうこうしているうちに、一番の得意先(問屋)までも
倒産してしまいましてね」
経営者を目指す以上、
荒波にもまれるのは覚悟のうえだった。
だが、作り手が年々高齢化していくことには
正直、不安を感じていたと松村さんはいう。
「跡を継ぐために率先して入った業界なのに
先が見えないというのは相当なジレンマですよね」
清川商店の2代目社長になったのは42歳のとき。
その半年後にふたつのオリジナルブランドを
同時に立ち上げたのもそうした危機感からだ。
若者の自由な感性とメーカーの実直な物作りが融合
アッズー二というブランド名は、
アッズーロ(青)とユニ(唯一)という
ふたつのイタリア語を組み合わせた造語。
同ブランドマネジャーの木下将一さん(28歳)は
「マリンスポーツが好きな経営者に敬意を表して
海の色をブランド名に入れた」と話す。
木下さんの前職は、革問屋の営業マン。
清川商店は得意先のひとつだったが、
若い才能を重んじる同社の方針に共感。
バッグ作りへの思いを松村さんに伝えたところ、
夢をかなえるチャンスを与えてもらった。
「私が若かったころと違って、
いまの若い人は作ることが好きで
この業界にやってくる人が多い。
彼らがやりがいを持って
仕事を続けるにはどうすればよいか、
自分なりの答えが『任せる』ことでした」
プロとしての実績のない若者に
いきなりブランド作りを任せることについては
周囲や同業者から反発もあった。
だが、松村さん自身がまったく素人から
バッグメーカーの経営者になった人だ。
ためらう理由はなかった。
「昔はどのメーカーも社内で職人を育てていました。
一人前になった職人は独立し、元の勤め先から
仕事をもらい、腕をさらに磨いたと聞いています。
その流れをもう一度作りたいと思っています」
ブランドのコンセプトや見せ方は
若者のセンスに委ねるが、
品質や使い勝手、売れ筋の見極めは
松村さんが厳しくチェックする。
「若手に任せるといってもスタンスはメーカー。
最優先すべきは製品としてすぐれたバッグです。
その一方でチャレンジすることを忘れない。
それが先代から教わった清川イズムであり、
アッズーニというブランドの核となっています」
松村さんがこぎ出した小さな船は
若いクルーたちの力を得て、
さらなる大海原へ旅立とうとしている。